フローレンス・ナイチンゲールの影響を受け継いで、桜井女〇校、東京帝国大学病院、慈恵会医科大学病院、日本赤十字社に看護婦養成所が設立されたが、実際に看護にたずさわる人の多くはこうした教育機関で教育・訓練されるのではなく、看護の実務の場で徒弟的に育てられるにとどまっていた。日本で看護基礎教育が抜本的に改革されたのは、第二次世界大戦後のことで、これは米国の看護界影響を大きく受けつつ行われたものであり、主体的に看護活動をになうことのできる看護婦を養成することを目指すようになった。
フィリピン国籍の看護師を受け入れるに当り、日本語教育や日本語能力試験を受けている、日本語がある程度出来る等、日本の事情に精通する事を条件にし、また厚生労働省は受け入れ条件の1つとして、人数の上限を設けている。平成21年は看護師候補者88人が来日しており、平成22年は看護師307人、介護383人を上限として受け入れている。